こんにちは。
今日はこの場を借りて、えんじょるのに対する私の思いのたけを語らせていただきたいと思います。
読んで不愉快に感じられる方いるかもしれませんが、私の正直な気持ちですのでどうかご容赦ください。少し長くなります。
えんじょるのをあちこちでプレゼンテーションすると,多くの厳しい意見を頂きます。
「援助者が悪い人だったらどうするの」
「 高齢者が騙されたらあなた責任取れるの」
更には
「殺人事件が起きたらどうするの」
他には、
「 電話注文で言い間違いや聞き間違いがあってトラブルになったら解決してくれるの」
「間違えて買ってっても許してくれる高齢者なんていないわよ」
しまいには
「こんなリスクだらけのシステム私が担当する利用者には絶対勧めない」
というケアマネさんまで・・・
他にも
「代金立て替えで買ってくるなんて、そもそも仕組みとして駄目だ」
なんていう人も。
よーく判りますよ。その心配。
きっと使う高齢者の事を本当に心配しているからこそ感じるものなのでしょう。
しかし、私が長年ケアマネジャーをやっていて、実際に買い物に困っている高齢者と接して感じることは、ちょっと違うのです。
高齢者は、基本的に自分の為に買い物をしてきてくれる人に好意的です。「この人は悪い人かも知れない」などと疑ってはいません。それに「違うものかって来たら許さない」なんて喧嘩腰の人もいません。例え間違えても、皆感謝こそすれ、不満を言う人はいないのではないでしょうか。
皆さん善良で優しく、買い物に行けないという切実な課題を抱えている方々なのです。
皆さん「サービスを権利として利用する人」ではなく、「助けてもらいたい人」なのです。
買い物に困っている高齢者の現状をよく見てください。
「新鮮な肉や魚を買いたい。
でも足が悪いから買いに行けません。
ネットスーパー?残念ながらインターネットは使えません。
カタログ注文すら字が細かくてよくわかりません。
移動販売車はうちの近くは走ってません。
近くのスーパーも配達まではしてくれません。
じゃあ誰かに買ってきてもらうしかない。
でも、遠くに住む娘に頼むわけにはいかないし、
家政婦さんに頼んだら1時間何千円もかかるし、
介護保険のヘルパーさんは、介護認定を持っている人じゃないと使えないし、
近所の人に毎回頼むのは悪い気がするし、それに毎回頼まれる人も迷惑だと思うから頼めないし、
誰かついででもいいから買って来てくれる人はいませんか…」
この「誰かついででもいいから買って来てくれる人はいませんか…」
私はこの想いに応える為にえんじょるのを作りました。
「えんじょるの」を使えば、地域の登録ボランティアさんたちに、電話着信を入れるだけで簡単に「買い物を頼みたい」と伝えることができます。そして、もし行ってくれるボランティアさんが見つかったら、その人に買い物を頼むことができます。しかも低コストで。
えんじょるのは、たったそれだけのシステムです。
「困っている人」と「助けてくれる人」をマッチングするだけのシステムなのです。
援助者が誰か分からないというリスクがある事は承知しています。だからSMS認証方式を入れたりして、できるだけリスクを減らすようにしました。しかし、そもそもボランティアをしてくれる人が本当に良い人かどうかなんて、どうやって事前に見極められるのでしょうか?災害ボランティアに来てくれた人たちに対して、その方の犯罪歴などを調べるなんてナンセンスでしょう。結局は「助けますよ」というその方を信じるしかないのです。
買い物ボランティアも同じです。登録時のSMS認証や善管注意義務の誓約を取り交わしたとしても、最終的には「困っている人がいたら助けますよ」と言って援助者登録をしてくれたボランティアさんの気持ちを信じるしかないのです。
えんじょるのは欠点だらけのシステムかもしれません。でもいろいろ批判をする方に聞きたいのです。
「では他に解決策があるのですか?」
あるのであれば、私はケアマネージャーとしてこんなに悩まなくて良かったと思います。お金と時間と労力を注ぎ込んでえんじょるのを作る必要すら感じなかったでしょう。
それに買い物支援は、それ自体コストがかかります。でも多くの高齢者はお金がありません。
ではどうするのか?
そう、助け合いしかないのです。地域みんなでこの問題を解決するために心を1つにして、少しずつ負担を分け合って助け合うしかないのです。だからボランティアなのです。
ボランティアさんを信じるか信じないかは本人の自由です。信じられないから、えんじょるのなんて使わないと言うのも仕方がないと思います。
でも皆さんがボランティアさんを信じることさえできれば、今まで解決策が全くなかった買い物弱者問題に小さな風穴を開けることができます。
もちろん私も、信じてもらえるものにする為にこれからも考え続けます。
目の前に、買い物に困っている人がいます。
私は「打つ手がない」と言ってあきらめるのをやめました。例え不完全な方法であっても、人々の善意を信じてチャレンジしてみることにしました。
そうして作ったのが「えんじょるの」なのです。
・・・本日は言いたいこと言いました。最後までお読みいただきありがとうございました。
買い物弱者を地域で助けよう!
えんじょるのホームページ