9/14(火) 18:10からの首都圏ネットワークの中の「私もヤングケアラーだった」のコーナーで、約5分間特集で取り上げて貰いました。
私が中学生の時に若年性アルツハイマー病の母を介護した時のことを語った内容です。
発病当時の母
ずっと心の中にしまっていた母と私だけの記憶が、目の前で全国放送として流れているので、何だか信じられない感じでした。
でも見終わったあと、私の中で何故か大きな区切りがついた様な気がしました。それは、私がずっと背負ってきた過去の影響からようやく解放された様な感覚です。
思い返せば、あの辛い出来事があるまでは、私は苦労知らずの子供でしたが、あれから私の人生の闘いは始まった様な気がします。
誰にも相談できず、必死に母の病気と向き合った中学生時代。
高校卒業で進路を決める時は「母との辛い思い出がある場所から離れたい」と思い、生まれ故郷から遠く離れた防衛大学校への進学を決意。この学校は親に学費の負担をかけない事も理由の一つでした。
大学校在学中は「大空を飛んでいれば母親との辛い思い出を忘れられる。」と思い戦闘機のパイロットを目指しました。でも視力検査で不合格となり卒業後すぐ自衛隊を去りました。
その後は「最期は惨めに死んだ母。でも昔は100m走の国体選手だった。だから天国の母を喜ばせたい!」と思い実業団のアメリカンフットボール選手として10年間必死に闘い続け日本一を経験しました。
選手引退後は「昔の私のように介護で苦しむ家族の力になりたい!」と思いケアマネジャーになりました。
そして現在進行中の「えんじょるの」。
これも、少年の頃に周りから孤立していた惨めな気持ちが根っこにあります。「少しでも住民同士で辛さを分かち合える地域の繋がりを作りたい。」そんな思いが開発の根底にあるのです。
私の人生における節目には、必ず母の影響がありました。普通の人の様に、我が身の出世や安定を目指すという思いは私にはありませんでした。私にとって大切だったことは、母への罪悪感、周りからの劣等感、悔しさ、悲しさ、惨めさなどを克服する事、そして同じような想いをして苦しんでいる人の力になれる事が、人生の選択の判断基準でした。
でもこの番組を見て、中学生の頃から始まった35年間にわたる私の闘いが、ようやく終わった気がしたのです。
ありがとうNHK。
この番組は、反響が良かったため追加放送されるそうです。
9/21(火)「NHKおはよう日本」(NHK総合・全国放送/朝5時台もしくは6時台)
9/22(水)「NHKイブニング信州」(NHK長野県域放送/18:10~)
こちらから見れます。
webニュースの記事はこちらhttps://www3.nhk.or.jp/news/html/20211011/k10013298201000.html