今日は仕事が休みで、この本を読みました。
自分の経験と照らし合わせながら読み進めることができ、共感の嵐!
それにずっと忘れていた35年前の中学生の時のある感情を思い出して、とても懐かしさを覚えました。
その感情とは・・・ナント「恨み」なのです。
それはこんな理由です。
私が中学生の頃、母は若年性アルツハイマー病の症状が強く現れ始めてきており、徘徊、独語、異食、失禁など、生活上の問題が急激に増えてきました。私は、学校から帰ると徘徊している母を探しに行って家に連れて帰ることが日課になっていました。母が行くところは毎回決まっており、一年前まで私たち家族が住んでいた家でした。その家は、私たち家族が何十年も暮らしてきた家でしたが、母が一人で昼間いられなくなってしまった為、やむを得ず近所のおばの家に同居することになり私たち家族は引っ越したのでした。でも母はそれが理解できず、思い出したように以前の家に帰ろうとするのです。そして毎日家を飛び出して元の家まで歩いていくのですが、結局は玄関にカギがかかって入れずに、いつも家の前で途方に暮れているのでした。
そんな母を私は毎日学校から帰ったら家に連れて帰り、夜遅くに父が帰ってくるまで隣の部屋に押し込め、もう出ていかないように母の気配を気にしながら過ごしていました。母がどんなに騒いでも、泣いても、例え失禁していても見て見ぬふりをしながら・・・
当時の私は、家に帰ってもテレビ番組や趣味を楽しむ心の余裕などなく、毎晩隣の部屋で鏡に向かって話をしている母の声を聴きながら、少しでも現実を忘れたい一心で、耳栓をしながら机に向かって勉強をしていました。勉強が好きだったからではありません。勉強に集中している時間が、辛い現実を忘れられる安らぎの時間だったからです。だから毎日食事以外は5.6時間は勉強していたと思います。
そんな風に、家では毎晩母と二人の暗い時間を過ごしていました。ところが、翌日学校に行くと、学校では友人たちが楽しそうに昨夜のお笑い番組やアイドル歌手の話をしている。そんな姿を見ていると、まるで私が過ごしている暗い夜とは別世界の話を聞いているような感覚になるのです。
そしてそこで湧き上がってきた感情が、幸せそうにしている友人たちへの「恨み」だったのです。(自分勝手な逆恨みである事は承知しています)
今日読んだ本にも、そのあたりのヤングケアラーの心理が細かく書いてありました。
今でも時々、当時の暗い蛍光灯に照らされている母の不安げな顔と、心の中のネガティブな感情を思い出して何だか胸が苦しくなります。
それにしても、まさかあれから35年後に、こんなヤングケアラーが問題となる時代がくるなんて誰が想像したでしょうか・・・