兄の最期の言葉

私の6才年上の兄は、5年前に脳腫瘍で他界しました。享年48歳。

 

変わり者の私が言うのもおかしいのですが、兄はかなりの変わり者でした(笑)

仕事は飲食店の経営者で、地元の福井県の近郊で宅配すし屋、居酒屋、焼き肉屋、パスタ屋、もつ焼き屋、よくわからないどんぶり屋など、色々やっていました。思い立ったら誰のいう事も聞かずにガンガン進むタイプで、まさに典型的な「中小企業のワンマン社長」タイプ。

チェーン店をどんどん増やしていくと思ったら、せっかく出した新店をたったの1か月で閉じてしまったりと、傍から見たら常識外れの様なやり方もあったのですが、それでも会社は順調だったようで、きっと経営の才能もあったのでしょう。私にとってはどこか憧れの存在であり、同時に「何をやらかすか分からない」、そんな見ていて面白い人でした。

 

そんな兄が亡くなる半年前の夏のこと。入院している兄を見舞いに行った私は、久しぶりに兄と二人で話をしました。兄は点滴につながれて、既にだいぶやせ細っていました。f:id:enjorno:20201121065815j:image

私は主に兄の仕事の話の聞き役になっていたのですが、その時ふと兄が私にこう言ったのです。

 

「やすひろ(私の名前)、お前も商売をやれ。人に雇われるのもいいけど、自分でやったほうが絶対に楽しいぞ。俺が手伝ってやるから。」

 

その言葉を聞いた時に、私の心の中で何かが騒いだ気がしました。もしかするとそれは、商売人の家系に生まれた血なのでしょうか。私達兄弟は両親が早朝から深夜までガムシャラに働いている姿を見て育ちました。だから私も心のどこかで「いつか自分もあんな風に生きたい。」という思いを持っていたのかも知れません。

兄とゆっくり話をしたのはその時が最後でしたが、私が3年前に「えんじょるのプロジェクト」を立ち上げた時、この時の兄の言葉が背中を押してくれた事は間違いありません。

今後「えんじょるの」がしっかりとしたビジネスになって継続していくことができるかどうかは分かりませんが、あの兄が手伝ってくれていると思えば上手く行く気がします。

 

そうそう、今だから言いますが、あの日兄と2人だけの病室で、誰にもナイショで缶ビールで乾杯したんです。

カバンに隠し持って来た、氷詰めのキンキンに冷えた缶ビール!人生最高の一杯だったな〜。

あの時の兄の悪ガキみたいに嬉しそうな顔、今でも忘れられません!

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