絶望の中に見えてくるもの

私は普段ほとんどテレビを見ないのですが、昨日たまたま目に入った番組で、ある日本人の冒険家の特集を見ました。

その冒険家は、まだ30歳そこそこなのですが、数年前に絶望して死にたいと思った時に、自分の死に場所として頭に浮かんだのが砂漠で、そのまま死に場所を求めてエジプトに行ったことが、冒険人生の始まりだったそうです。

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春間豪太郎という方です

私がテレビで見たのはその場面だけ。

でもたったそれだけで、彼のその気持ち何だかよくわかりました。

 

人は死にたいと思うような辛いことがあると絶望的な気持ちになります。

こんな時は夢も希望も持てないし、自分が生きてきた過去さえも価値がないもののように感じてしまいます。

なぜなら、今自分がどん底状態になってしまったのは、今までの生き方が原因のように思えてしまうからです。そして、財産、学歴、権力、地位、家庭、友人などの自分が人生で支えにしてきた大切なものがガラガラと崩れて無価値になってしまうのです。

 

実は私も同じような経験があります。

3、4年前は、まさに・・・人生のどん底でした。

今の元気な私からは想像もつかないほど。

 

どうして私が元気を取り戻せたか?

 

それは、私はこの絶望という暗い感情の中に潜んでいる「良い一面」によって這い上がることができたからです。

 

絶望の良い一面とはなんだと思いますか?

それは「自分がしがみついてきたものから解放される」という事です。

先ほどの冒険家を例にとると、普通だと、急に会社を辞めてエジプトに行くなんて失うものが多すぎてできません。これって、自分が積み上げてきたものを捨てるということですから。でも彼は捨てた。どうしてそんなことが出来たのかと言うと、それは絶望したからです。

テレビの話の中では、彼は恵まれた環境で育ち、相当高い学歴もあり、立派な会社員として働いていたそうですが、それらのことが絶望の中で全て無意味なものになってしまった。その結果、物事の価値が全てゼロにリセットされてフラットな心の状態で世の中を見ることが出来た。そんな状態で彼が心の底から望んだことが「砂漠に行くこと」だったのでしょう。

 

絶望的な状態だからこそ、心の願いが見えてくる。

 

私も3年前、まだ人生のどん底から這い上がれないでいた時、唯一やってみたいと思えたことが「えんじょるの」を作る事でした。

「これさえ出来ればあとは何もいらない」

そんな想いで一歩を踏み出したことを今も覚えています。

自分でも無謀なチャレンジであることは十分わかっていましたが、それでもこの3年間夢中で取り組むことができました。例え辛い時でも「えんじょるの」の課題に取り組んでいれば、嫌なことも忘れることができました。

だから「えんじょるの」は、私の心の願いだったのです。

 

絶望が気づかせてくれた心の願い。

 

人生ってつくづく不思議です・・・

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