今日「地域の人同士のつながり」について話をする場で、ある男性からこんな意見が出ました。
「もし自分がボランティアをして、一回だけ誰かを助けたとしても、それが一体何の解決になるのでしょうか。自分自身がずっとその人を支援する覚悟もないのに、一回だけ助けてもゴールが見えないじゃないですか。私にはそんな活動はできません。」
この時、私は「その通りだ」と感じました。でも同時に「そうじゃない。」とも感じました。
そこで今日は、この「心のもやもや」を言語化したいと思います。
私がケアマネジャーを始めた時、似たことを感じていました。それは、例えば週に1回のヘルパーによる掃除の支援を高齢者に紹介するとき、「この人が、掃除の支援を生活に取り入れることで、この人の生活の一体何が解決するのだろう。確かにこの家は不衛生な生活環境だけど、本人はこの環境を受け入れているし、むしろ快適そうに暮らしている。俺の目指すゴールって、いったい何?」
当時はそんなことで真剣に悩みました。ヘルパーを入れようか、入れまいか・・・
でも、今はあまり迷わなくなりました。何故なら、どちらが良いかなんて、本当は誰にも分からないからなんです。だから、私はその人の生活全般を見て、ヘルパー支援を入れることで「その人の生活の質」が高まると思えば提案するし、効果がないと思えば提案しないようにしています。その人の生活の質が高まるという事は、すなわちその人が「今よりも幸せ」になるという事です。要は、その人の満足度や幸福度が高まるかどうかが大切なのです。だから間違っても、家の中の「ゴミの山」=「宝の山」と思っている人の家に掃除のヘルパーは提案しません(笑)
そう考えると、介護保険のサービスと同じでボランティアをすることも、目指すゴールというのは、「相手の生活課題を解決すること」ではなく、「相手の生活の質が高まる事」だと思うのです。
そういう風に考えると、たった一回だけでも「ボランティアをする」ということに意味が出てきます。
もしあなたが、誰かの生活の課題を解決しようとしたら、そこには計画的で継続的な支援が必要になってきますが、そうではなくて相手の方の生活の質が高まって、その結果相手の方が幸せを感じてくれることを目指すのであれば、そのボランティア活動は、例えたった一回だとしても充分効果があると思います。
そしてそこにあなたが、「だれかを幸せにできた」という貢献感を感じられるのであれば、ボランティア活動をすれば良いだけなのです。
そう考えると「相手の生活課題を解決する」ということは、かなりハードルが高いこととも言えますね。